「鬼」
「おに」の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味する、との一説が古くからある[3]。そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらす伝説上のヒューマノイドのイメージが定着し、さらに陰陽思想や浄土思想と習合し、地獄における閻魔大王配下の獄卒であるとされた、とも考えられる。(Wikipedia参照)
要するに、中国では「幽霊」のようなモノと捉えられてはいますがそれは置いといて、日本では人知を超えた何か、だということです。
世の中には我々では理解し難い人の「悪意」のようなモノがあり、我々ではそれを抑制できない存在があります。「魔が差す」という言葉もありますが、その言葉のように突然、脳の「揺らぎ」のように「悪意」が表れたりするのだと思います。どうしようもないのです。
そんな天災のような「悪意」を実体化し、それを退治することで畏怖の念を無くそうとしたのが「節分」なのではないでしょうか。
僕は個人的にそういうふうに考えています。