不随意と云うのは意のままにならないと云うことだろう。それでも統御はされているのだ。そうでなくては人は生きられないだろう。統御はしていても意のままにはならない、そうした領域があると云うことだろう。だが、そうなら。
統御しているのは、何者なのか。
~略~
我思う以外にも我はありますかと久住は呟いた。
デカルトは僕には高潔すぎますよと関口は繋ぐ。
京極夏彦「鵼の碑」より
最近この本ばっかり読んでるので、このブログが栞かメモ代わりのようになってきている村橋です。
もう、こういう事考えてばっかりいたら頭おかしくなりそうです。
「自分」なんてものは結局最初からないようなものなのかな…?
それはそれで、いいのかもしれないですね。
良いも悪いもないわけですが。
何も無いわけですが。
お腹はすくのです。