こんにんちは、
橘の村橋です。
ラック立花はCaféをいい感じで開催でき、
次はどうしようかなぁと色々考えて楽しい毎日です。
そこで、立花って地名の由来をちょっと疑問に思っていたので最近よく調べています。
調べていくうちに、色々と繋がってて、壮大な話になってきました。
文花がなぜ、花なのか、
木更津の名前の由来にも繋がったり、
しまいには東を、アズマとよんだり、吾嬬とよんだり、
一つの神話が繋げて、意味を作って、
今に至っているのが面白かったりします。
まず、
この話で最重要人物、「弟橘媛、(弟橘比売)(おとたちばなひめ)」がこちら、
この方の名前から立花の由来になってて、文花の“花”の部分も由来ににもなっている、という説があります。
弟橘比売は倭建命(やまとたけるのみこと)の妻で、
倭建命が東国へ向かう遠征の途中で、 海を船で渡ろうとしていました。 しかし海は突然荒れ始め、船は転覆しそうになります。
このままでは全員が命を落としてしまう―― そう感じた倭建命の妻、弟橘比売(おとたちばなひめ)は考えました。
「これは海の神の怒りだろう。 私が身を捧げれば、皆を救えるかもしれない。」
彼女は自ら海に身を投げ、海神の怒りを鎮めようとしたのです。 すると不思議なことに、荒れ狂っていた海は静まり、 倭建命たちは無事に房総(現在の千葉県)へ渡ることができました。
しかし、愛する妻を失った倭建命は深い悲しみに沈み、 海岸を歩きながら彼女を想い続けました。
「君よ、去らないでほしい…」
この気持ちを表す言葉「君不去(きみさらず)」が、 木更津(きさらづ) という地名の由来になったと言われています。
その後倭建命は東国を平定し、そこから東国を望んで弟橘比売を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆いた。そこから東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。
とのことです。
ちなみに、その後その遺品が流れ着き葬って塚としたものが「吾嬬神社」の始まりといわれる。(吾嬬=わが妻)の意味になるそうです。
めっちゃ面白くないですか。
つまり、
・東国の呼び名「あづま」
・墨田区の「吾嬬」地名
・立花の由来(弟橘比売)
・木更津の由来(君不去(きみさらず)
これらはすべて一本の神話でつながっているんですね。
日本書記の話だったりして、実在しなかったかもしれないですが、その話自体にちゃんと意味があったりします。今に残っているということにちゃんと意味があったりします。
そう考えるとすごい面白いです。
まだ吾妻神社に行けてないんで、また時間あったら行ってみようと思います。













