長期にわたり家族の介護をしてきた人間にとって 介護とは色と戦うカラフルな戦場だったように思う。
黄 茶 赤 緑 紫 白
人の体は沢山の色を生み出し、その体内には沢山の色を携えている。
長期化する介護は親子とか夫婦とかいう分類されたものではなく、被介護者は介護者にとって、その何割かは自分の人生を捧げた自分の分身のような存在となっていく。その分身度は多分、愛情に比例する。
本人の意思も確認出来ないまま 常にキーパーソンとして生死を分ける選択肢をつきつけられると、その残り人生は分身と共に歩まざるを得ない。
認知症だからと子供扱いするサービスや寝たきりの人間を動かないモノとして扱うサービスに心を開けないのは当然の事ながら 当の本人をお客様として扱わない サービスは受け入れられない。
なぜなら その不快さは自分の痛みでもあるから
「介護者が見ていなくとも大丈夫」な時間の提供を目指すのがレスパイトケアであり、その誠意が感じられなければ どこにいようと 気がかりなまま介護者に安息の時間はない。
そして、介護の終焉には根気を費やした分だけ 無力感が押しよせる。
ご家族様もお客様ですといっていたサービスも 実際のところ本人の魂と共に去っていく。
最後の〈白〉は介護の終戦を確かめる証の色であり、被介護者の生が幻でなかった証の色でもある。